「フィクションは歴史の抑圧された他者である」というミシェル・ド・セルトーの格言を引用するホワイト(ヘイドン・ホワイト)は、フィクショナルだったり想像力に頼っていたり文学的だったりする要素を排除し尽くせるなどと勘違いしている歴史家によって書かれた歴史記述はわれわれに「どうすべきなのか」についてなにも教えてくれないが、フィクションは、その抑圧された他者としての歴史にアクセスするための回路であり、われわれが生きる現在についての示唆を与えるものだと考えている。つまり、フィクションは歴史と倫理を接続する。そして、わたしが付言したいのは、この歴史と倫理をつなぐプロセスは、読者なしには完遂されないということだ。
(阿部幸大『ナラティヴの被害学』「第9章村上春樹『ねじまき島クロニクル』におけるアジア太平洋戦争のポストメモリー」)
2026.3.24 22:21



半年以上かけてやっと「休む」が分かり始めてきたというか、自分がどれだけ常に気を張って生きているんか(それが過ぎたエゴだとしても)を知りつつある
これから付き合い方を覚えていきたい
休養始めて、2ヶ月で本当にびっくりするほどクンッて急に落ちてからほとんどずっと調子が良くなくて 年明けてから余計にひどくなってしまっておろってたけど、たぶんこの数日の気づきはいい方向だと思う ゆっくり伸ばしていきたいよ
とはいえ無理せずに……今は自分のことだけ考えます 謝る必要はないと思うんだけど、ごめんに
自分の行動が所属や社会においてどの立ち位置にありコミュニティにおいてどのような影響を及ぼすのか、それについての勝手な責任感や過剰適応が悪さをしてるんだなというのがなんとな〜く見えてきたので
過剰適応は本当に厄介な歪みなんですが、この姿が「見えた」というだけで自分はえらいぞ〜って思うことにしています!
年齢と比較すると私は本当に幼稚なけど、伸びしろをちゃんとわかってきてるからそれでいいんだよ〜って認めてあげたいですね
とりあえず将来的に嫌なおじいおばあにならんかったらそれでええか!!!!くらいの気持ちで生きてくマインドではいたい
あと「ノートを書く(日記などではなく、気持ちとかそういうやつ)」ということに今まで抵抗感があったんですが、一度手を付けてみるとすごくいいなと思いました ウンウン畳む