こやめも

- Koyakoya Memo Logger -

フィクションとノンフィクションのこと、メモ

テーマも何もかも全く違うけど、今話題のものでいえば『ペリリュー』がそうだろう。
文学や作品はフィクションであるからこそ伝えられる複雑さがあり、歴史事象やノンフィクションではない〈手段〉のひとつとしてひじょうに有効だ

だがこれにはやはり欠点もあって、伝達側あるいは需要側の認識不足が発生する(もしくは表現上の不足が発生する)と、都合の良い解釈や恣意的な切り取りでの受け止め、打ち止めが発生すること
これらは〈ノンフィクションではないからこそ〉繊細に取り扱い、気を配らねば伝達として失敗はおろか解釈に対して制約を課す、あるいはある程度の制御ができない(無論、完全な制御は不可能である)

たとえば暴力の否定が暴力の肯定にうつるような瞬間を描画してはならない、と思っている
感性的な余白は作るけれども、いわゆる歴史学的な部分でのそういった余白は作ってはならないと思っている
フィクションにノンフィクションを適用するのではなく、ノンフィクションの隙間にフィクションをみいだす時にこそ気を配らねばならないところは、前者より多くあると思う

体験者がいなくなる時代において、フィクションは間違いなく架け橋─あるいは入り口─足り得ると私は信じていて
フィクションという〈作品〉の力を信じている

だからこそ真摯な作品が増えてほしいし歓迎したい、それは作り手としても消費者としても ごくまじめにそう思うんです畳む