ブログの使い道をいろいろ考えてみたすえ
テンプレートもちょっと変えた。
「しずかなインターネット」が書きやすいUIをしており、いつもブログだったり雑記めいたものをそちらにほいほいとアップロードしてしまうのだが書き心地はいいものの表示としてはもう少しいじりたさがあり、ほなブログをアーカイブとして使ってもいいんじゃないか? という気付きを得た。
てがろぐのほうがデザインも変えられるし文面の装飾も非常に理想的ではあるから。そのため、ここ数件は過去の投稿がおそらく上にあがってきている(カレンダー的にはちゃんとその日に割り振られている)。
今後もおそらく時を超えたブログがトップにくると思うが、これはこれでいい使い道というか使い分けかも、と思うのでこれでやっていきたい。
テンプレートもちょっと変えた。
「しずかなインターネット」が書きやすいUIをしており、いつもブログだったり雑記めいたものをそちらにほいほいとアップロードしてしまうのだが書き心地はいいものの表示としてはもう少しいじりたさがあり、ほなブログをアーカイブとして使ってもいいんじゃないか? という気付きを得た。
てがろぐのほうがデザインも変えられるし文面の装飾も非常に理想的ではあるから。そのため、ここ数件は過去の投稿がおそらく上にあがってきている(カレンダー的にはちゃんとその日に割り振られている)。
今後もおそらく時を超えたブログがトップにくると思うが、これはこれでいい使い道というか使い分けかも、と思うのでこれでやっていきたい。
CATEGORY:雑記
『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』鑑賞
あるYoutuberの同時視聴がたまたま目に留まってネトフリでちょうど5月末までの配信だったので観てみた作品。
元ネタはホラーゲームらしく、映画自体もB級ホラー映画となっている。ホラー……コメディ映画かな? ちょっとグロテスクなところがあるのはB級ホラーのお愛想程度だけど、なんかちょっと癒されるというか楽しいシーンが謎に挟まったりするのがいかにもB級っぽくて良い。シュールギャグというか。
どうもゲーム要素はフレーバー程度らしく、映画の脚本はほとんどオリジナルのようだ。なので私も元のゲームを知らないでB級映画として十分に楽しめた。
えっ結局弟ってどうなったの? とか、動機は!? とか、提出された割に何も解決してないな問題が!!!!!! という点もあるが、やはりそこもB級略。うまい具合にそのあたりのクオリティやある種のアクセルを踏み込んで敢えてのB級感がむしろ嬉しくなる出来だった。
問題はぼんやりと解決はしてないっぽいよな……とは思うものの、物語の主題である兄と妹の絆は一本筋で描かれておりブレていないのがよかった。逆に言うとそれ以外が結構雑というかブレブレなのだが、もうもはやそれすら面白いのでヨシ! というくらいにはアクセルベタ踏みなので楽しい。
───
こういった着ぐるみ×スプラッタホラーはどうしても『ウィリーズワンダーランド』を思い出してしまうが、それよりはもっとヒューマンドラマでホラー(スプラッター)感も薄く、どちらかというと少しスピリチュアルな感じの強い雰囲気だった。あと最近の作品なのでCGがうまい。あそこだけピクサーみたいな作画(?)
俺たちは雰囲気でホラーヒューマンムービーを観ている! という状況に耐えられる人にはかなりオススメ。
私はけっこう面白かった。死ぬ人は死ぬ。超死ぬ。でも兄と妹の絆は強くなる。弟はちょっとよくわかんないです……。主犯の動機もちょっとよくわかんないけど結果的に妹が状況を変えて因果応報喰らったので、まあいいです……。
そんな感じ。少なくとも、思わずこうしてブログをしたためてしまう程度には面白かった。こういう機会でもなければ観ることはなかっただろう映画だけにより一層、なんかよかった。
【追記】
どうやら今年の1月に「2」が公開されていたらしい。まあなんか……続編ありそうだったもんな!!
▷『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』公式サイト
あるYoutuberの同時視聴がたまたま目に留まってネトフリでちょうど5月末までの配信だったので観てみた作品。
元ネタはホラーゲームらしく、映画自体もB級ホラー映画となっている。ホラー……コメディ映画かな? ちょっとグロテスクなところがあるのはB級ホラーのお愛想程度だけど、なんかちょっと癒されるというか楽しいシーンが謎に挟まったりするのがいかにもB級っぽくて良い。シュールギャグというか。
どうもゲーム要素はフレーバー程度らしく、映画の脚本はほとんどオリジナルのようだ。なので私も元のゲームを知らないでB級映画として十分に楽しめた。
えっ結局弟ってどうなったの? とか、動機は!? とか、提出された割に何も解決してないな問題が!!!!!! という点もあるが、やはりそこもB級略。うまい具合にそのあたりのクオリティやある種のアクセルを踏み込んで敢えてのB級感がむしろ嬉しくなる出来だった。
問題はぼんやりと解決はしてないっぽいよな……とは思うものの、物語の主題である兄と妹の絆は一本筋で描かれておりブレていないのがよかった。逆に言うとそれ以外が結構雑というかブレブレなのだが、もうもはやそれすら面白いのでヨシ! というくらいにはアクセルベタ踏みなので楽しい。
───
こういった着ぐるみ×スプラッタホラーはどうしても『ウィリーズワンダーランド』を思い出してしまうが、それよりはもっとヒューマンドラマでホラー(スプラッター)感も薄く、どちらかというと少しスピリチュアルな感じの強い雰囲気だった。あと最近の作品なのでCGがうまい。あそこだけピクサーみたいな作画(?)
俺たちは雰囲気でホラーヒューマンムービーを観ている! という状況に耐えられる人にはかなりオススメ。
私はけっこう面白かった。死ぬ人は死ぬ。超死ぬ。でも兄と妹の絆は強くなる。弟はちょっとよくわかんないです……。主犯の動機もちょっとよくわかんないけど結果的に妹が状況を変えて因果応報喰らったので、まあいいです……。
そんな感じ。少なくとも、思わずこうしてブログをしたためてしまう程度には面白かった。こういう機会でもなければ観ることはなかっただろう映画だけにより一層、なんかよかった。
【追記】
どうやら今年の1月に「2」が公開されていたらしい。まあなんか……続編ありそうだったもんな!!
▷『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』公式サイト
CATEGORY:映画鑑賞など
『アンダーグラウンド 完全版』鑑賞
君は『アンダーグラウンド』という映画をご存じだろうか。
1995年に世界で公開された、ナチスドイツとユーゴスラビアを主舞台とした〈戦争・コメディ〉映画である。日本では1997年に公開され、第48回カンヌ国際映画祭では「パルムドール賞」を受賞した作品だ。1995年の話題作にしては、現代において埋もれかけているといえるこの映画。埋もれかけているのがもったいないほどの傑作なのである。
あらすじは各サービスに任せたいが(映画.comのリンクを最後に掲載しておく)、実はこの作品には「通常版」と「完全版」の2種類が存在する。
「通常版」はいわゆる「劇場版」のような編集が加わり、約3時間の映画となっている。私が以前鑑賞したのはこの通常版のほうであり、諸々のカットは感じつつも映画としては問題なく鑑賞ができるようにはなっていると思う(ただし、私は「完全版」を知ってしまってこれでは満足できない頭になったと思う!)。
それに対して「完全版」というのはその名の通りで、ディレクターズカット版であり劇場版にする上で意図的にカットされたものがすべて盛り込まれている。劇場版である「通常版」と大きく違う点は、ドラマ仕立てに編集されているところだろうか。各約1時間ずつ5つに話を区切ってDVDに収録されており、各話のはじめには前話までの「あらすじ」が挟まれている。総再生時間は約5時間に及ぶ。通常版では2時間ほどカットが加えられていたことになる。すごい。
※本記事は、『アンダーグラウンド 完全版』のふんわりネタバレを含みます※
───
さて、今日私が鑑賞したのはこの『アンダーグランド』「完全版」である。
なんと、普段よくしてくださっている津崎さんがこちらのDVDを所持しておりそれを郵送を介してお借りすることができたのだ!
この場を借りて改めて、津崎さんには感謝を申し上げたい。そも、この作品を薦めて下さったのも以前「通常版」を一緒に観たのも津崎さんである。とってもありがたい。そしてもちろん(?)今回も同時上映として一緒に鑑賞させていただいた。
DVDのディスクは3枚組となっており、本編が2枚・特典としてキャストインタビュー等が収録されているものが1枚で構成されている。ご厚意によってまだ時間猶予があるので、特典ディスクも後日拝見するつもり。今回は本編を一緒に鑑賞した。
いやあ……、なんというか、はじめのほうにも書いたけど、あれです、私はもうこれ「完全版」なしには生きられない(?)頭になっちゃいましたね……。
もともと「通常版」ではカットされたであろう部分は察知していたものの、想像よりもカットされていたシーンの〈奥行き〉が凄まじかった。このストーリーの全体像を知ってしまうと、もう「通常版」には戻れない。よしんば戻ったとして頭の中には常に「完全版」の内容が頭によみがえるだろう(そういった点ではもういちど「通常版」を鑑賞したい気持ちもある)。
なによりフランツ! ナイツドイツの将校であった彼の役どころが通常版の頃から私は大好きなのだが、その彼について更に描かれているのがとても嬉しかった。
これは「完全版」において通底するところなのだが「通常版」で違和感なくフェードアウトしていった人物たちはその後─この場合は戦後─どうなったのか? が描かれる。フランツもそのひとりであり、それからも彼は何食わぬ顔で生きていたことが明示されたのは(彼の役どころのファンとしては)なんだか嬉しかった。
また、私がもっとも強く感じたもの。それは、「通常版」においては唐突な情緒の乱高下の象徴であり〈なんとない共犯者〉であるように感じられたナタリアの存在である。
「完全版」を鑑賞することでこの〈なんとない共犯者〉であったナタリアの印象がガラリと変わる。彼女がマルコの〈共犯者〉としているにあたる心理的な葛藤、弟への愛情、2人の男たちへの愛憎──……。
特に〈共犯者〉としてのナタリアと、弟への愛情について本当に奥行きが変わった。いやいやいや。こんなバックボーンを削ってしまっては!! という気持ちになってしまうほどだ。
時に暴力を振るわれながら、酒に頼りながら、夫となったマルコと共に地下の秘密王国を封じ続ける。彼女が後半、舞台上で鬼気迫るセリフを叫ぶように吐き出したのは、押しつぶされそうな背徳と罪の意識、そしてそれによって自分は生きているということ。それらが舞台上のセリフとなって噴出したように私は感じた。
しかしそれでもマルコを愛しているということ。もちろん、クロのことも。同時に、おなじくらい憎いことも。
「通常版」では表層的にも感じられた彼女の存在が、「完全版」によってそのディティールを明らかにして『アンダーグランド』という作品の味わいをいっそう深く感じさせる。それは弟であるバタとのかかわりもそうだ。
バタとの別れのシーンはとてもさみしい。両親を喪い、どんな瞬間でもバタを想い、そしてバタの薬代を稼ぐために舞台に上がってきた彼女は、時に間接的にその両手を両足を血に染めながら歩いてきた。自分の人生には常にバタがいたのだろうと思う。戦時下で生き残った、たった一人の肉親だ。
彼を喪ったナタリアは、人生の生きがいも喪ってしまったのではないだろうか。だからこそマルコによる暴力そして酒への依存によってその後の自分を無理やり成り立たせていたのではないか。
そして、そういうふうに人生において弟・バタの存在があった彼女が、ラストシーンにおいて最期の瞬間に語られたバタの言葉のとおり「はしゃいで踊って」いる彼を見たときの歓喜といったら! あの瞬間こそ彼女の幸福だったのではないかと思う。
〈そう感じられる〉ことこそ「完全版」の価値のひとつではないだろうか。
そういった点では、(これは通常版でも同様だが)ラストシーンのクロと妻・ヴェラ、息子・ヨヴァンが揃って肩を並べるシーンも素敵だし、何より妻亡き後本格的にマルコとナタリアを奪い合ったが、彼はラストシーンにおいて何の含みもなくマルコ・ナタリアを夫妻として扱い、妻であるヴェラに紹介しているシーンは非常に感慨深いものがある。
あのラストシーンはいわゆる「死後の世界」といえるだろうが、あの場所ではすべての憎しみは無となりかなしみも不自由もなく、ただ現実と地続き〈だった〉出来事だけがあり、最後にはそれらからさえも〈解放〉される。
クロが息子をかつての地下の王国・〈アンダーグラウンド〉の井戸の底に見出して至ったこのさらに奥にあったほんとうの「アンダーグラウンド」。
隔絶と理想によって成立した世界によって、その直前までずっと漂っていた愛憎と血のにおいを拭い去り大団円で終わるのは、どこか寓話的でもあり、愛おしく、この映画が「戦争・コメディ」と評される終結点としてふさわしいエンディングである(もちろん全体的な喜劇感も)。
───
結局、どうやったってラストシーンでは号泣をかましてしまう。
井戸の底にヨヴァンを見つけたクロが飛び込み「アンダーグラウンド」に至るシーン、そこからのお祭り騒ぎに大団円。このラストシーンに至るまでに積み重ねられた何もかもの〈しがらみ〉から解放された彼らのすがたは、とても愉快でありかなしく切なく愛おしい。
戦争映画ではあるがコメディ要素も強いため、いろいろな人にぜひ機会があったら鑑賞してもらいたい作品だ。ただし、このコメディ要素にはちょっとした下品さも加わるのでそういったものが大丈夫なら……。
現状しっかりとした配信環境等がなく、冒頭の通り傑作であり比較的最近の作品としては埋もれかけているのが実に惜しい作品である。
まず通しでみるなら「通常版」。そして「完全版」を鑑賞するのが個人的にはおすすめだ。おそらく人によっては話のまとまり具合から通常版のほうがスッキリ受け止められるかもしれない。
だが個人的にはそれはぜひ「完全版」を鑑賞してから判断してほしい!
……とはいえ、鑑賞できる環境が本当にないのだが。
いや実に惜しい。ジブリ映画くらいには惜しい。本当に、何かのチャンスや機会があって鑑賞できるならぜひ!
とりとめない感想になってしまったが、もはや言葉よりも鑑賞である。この感情とカタルシスを感じることは、まず『アンダーグラウンド』という作品の鑑賞なしにはありえない。畳む
▷映画.com
君は『アンダーグラウンド』という映画をご存じだろうか。
1995年に世界で公開された、ナチスドイツとユーゴスラビアを主舞台とした〈戦争・コメディ〉映画である。日本では1997年に公開され、第48回カンヌ国際映画祭では「パルムドール賞」を受賞した作品だ。1995年の話題作にしては、現代において埋もれかけているといえるこの映画。埋もれかけているのがもったいないほどの傑作なのである。
あらすじは各サービスに任せたいが(映画.comのリンクを最後に掲載しておく)、実はこの作品には「通常版」と「完全版」の2種類が存在する。
「通常版」はいわゆる「劇場版」のような編集が加わり、約3時間の映画となっている。私が以前鑑賞したのはこの通常版のほうであり、諸々のカットは感じつつも映画としては問題なく鑑賞ができるようにはなっていると思う(ただし、私は「完全版」を知ってしまってこれでは満足できない頭になったと思う!)。
それに対して「完全版」というのはその名の通りで、ディレクターズカット版であり劇場版にする上で意図的にカットされたものがすべて盛り込まれている。劇場版である「通常版」と大きく違う点は、ドラマ仕立てに編集されているところだろうか。各約1時間ずつ5つに話を区切ってDVDに収録されており、各話のはじめには前話までの「あらすじ」が挟まれている。総再生時間は約5時間に及ぶ。通常版では2時間ほどカットが加えられていたことになる。すごい。
※本記事は、『アンダーグラウンド 完全版』のふんわりネタバレを含みます※
───
さて、今日私が鑑賞したのはこの『アンダーグランド』「完全版」である。
なんと、普段よくしてくださっている津崎さんがこちらのDVDを所持しておりそれを郵送を介してお借りすることができたのだ!
この場を借りて改めて、津崎さんには感謝を申し上げたい。そも、この作品を薦めて下さったのも以前「通常版」を一緒に観たのも津崎さんである。とってもありがたい。そしてもちろん(?)今回も同時上映として一緒に鑑賞させていただいた。
DVDのディスクは3枚組となっており、本編が2枚・特典としてキャストインタビュー等が収録されているものが1枚で構成されている。ご厚意によってまだ時間猶予があるので、特典ディスクも後日拝見するつもり。今回は本編を一緒に鑑賞した。
いやあ……、なんというか、はじめのほうにも書いたけど、あれです、私はもうこれ「完全版」なしには生きられない(?)頭になっちゃいましたね……。
もともと「通常版」ではカットされたであろう部分は察知していたものの、想像よりもカットされていたシーンの〈奥行き〉が凄まじかった。このストーリーの全体像を知ってしまうと、もう「通常版」には戻れない。よしんば戻ったとして頭の中には常に「完全版」の内容が頭によみがえるだろう(そういった点ではもういちど「通常版」を鑑賞したい気持ちもある)。
なによりフランツ! ナイツドイツの将校であった彼の役どころが通常版の頃から私は大好きなのだが、その彼について更に描かれているのがとても嬉しかった。
これは「完全版」において通底するところなのだが「通常版」で違和感なくフェードアウトしていった人物たちはその後─この場合は戦後─どうなったのか? が描かれる。フランツもそのひとりであり、それからも彼は何食わぬ顔で生きていたことが明示されたのは(彼の役どころのファンとしては)なんだか嬉しかった。
また、私がもっとも強く感じたもの。それは、「通常版」においては唐突な情緒の乱高下の象徴であり〈なんとない共犯者〉であるように感じられたナタリアの存在である。
「完全版」を鑑賞することでこの〈なんとない共犯者〉であったナタリアの印象がガラリと変わる。彼女がマルコの〈共犯者〉としているにあたる心理的な葛藤、弟への愛情、2人の男たちへの愛憎──……。
特に〈共犯者〉としてのナタリアと、弟への愛情について本当に奥行きが変わった。いやいやいや。こんなバックボーンを削ってしまっては!! という気持ちになってしまうほどだ。
時に暴力を振るわれながら、酒に頼りながら、夫となったマルコと共に地下の秘密王国を封じ続ける。彼女が後半、舞台上で鬼気迫るセリフを叫ぶように吐き出したのは、押しつぶされそうな背徳と罪の意識、そしてそれによって自分は生きているということ。それらが舞台上のセリフとなって噴出したように私は感じた。
しかしそれでもマルコを愛しているということ。もちろん、クロのことも。同時に、おなじくらい憎いことも。
「通常版」では表層的にも感じられた彼女の存在が、「完全版」によってそのディティールを明らかにして『アンダーグランド』という作品の味わいをいっそう深く感じさせる。それは弟であるバタとのかかわりもそうだ。
バタとの別れのシーンはとてもさみしい。両親を喪い、どんな瞬間でもバタを想い、そしてバタの薬代を稼ぐために舞台に上がってきた彼女は、時に間接的にその両手を両足を血に染めながら歩いてきた。自分の人生には常にバタがいたのだろうと思う。戦時下で生き残った、たった一人の肉親だ。
彼を喪ったナタリアは、人生の生きがいも喪ってしまったのではないだろうか。だからこそマルコによる暴力そして酒への依存によってその後の自分を無理やり成り立たせていたのではないか。
そして、そういうふうに人生において弟・バタの存在があった彼女が、ラストシーンにおいて最期の瞬間に語られたバタの言葉のとおり「はしゃいで踊って」いる彼を見たときの歓喜といったら! あの瞬間こそ彼女の幸福だったのではないかと思う。
〈そう感じられる〉ことこそ「完全版」の価値のひとつではないだろうか。
そういった点では、(これは通常版でも同様だが)ラストシーンのクロと妻・ヴェラ、息子・ヨヴァンが揃って肩を並べるシーンも素敵だし、何より妻亡き後本格的にマルコとナタリアを奪い合ったが、彼はラストシーンにおいて何の含みもなくマルコ・ナタリアを夫妻として扱い、妻であるヴェラに紹介しているシーンは非常に感慨深いものがある。
あのラストシーンはいわゆる「死後の世界」といえるだろうが、あの場所ではすべての憎しみは無となりかなしみも不自由もなく、ただ現実と地続き〈だった〉出来事だけがあり、最後にはそれらからさえも〈解放〉される。
クロが息子をかつての地下の王国・〈アンダーグラウンド〉の井戸の底に見出して至ったこのさらに奥にあったほんとうの「アンダーグラウンド」。
隔絶と理想によって成立した世界によって、その直前までずっと漂っていた愛憎と血のにおいを拭い去り大団円で終わるのは、どこか寓話的でもあり、愛おしく、この映画が「戦争・コメディ」と評される終結点としてふさわしいエンディングである(もちろん全体的な喜劇感も)。
───
結局、どうやったってラストシーンでは号泣をかましてしまう。
井戸の底にヨヴァンを見つけたクロが飛び込み「アンダーグラウンド」に至るシーン、そこからのお祭り騒ぎに大団円。このラストシーンに至るまでに積み重ねられた何もかもの〈しがらみ〉から解放された彼らのすがたは、とても愉快でありかなしく切なく愛おしい。
戦争映画ではあるがコメディ要素も強いため、いろいろな人にぜひ機会があったら鑑賞してもらいたい作品だ。ただし、このコメディ要素にはちょっとした下品さも加わるのでそういったものが大丈夫なら……。
現状しっかりとした配信環境等がなく、冒頭の通り傑作であり比較的最近の作品としては埋もれかけているのが実に惜しい作品である。
まず通しでみるなら「通常版」。そして「完全版」を鑑賞するのが個人的にはおすすめだ。おそらく人によっては話のまとまり具合から通常版のほうがスッキリ受け止められるかもしれない。
だが個人的にはそれはぜひ「完全版」を鑑賞してから判断してほしい!
……とはいえ、鑑賞できる環境が本当にないのだが。
いや実に惜しい。ジブリ映画くらいには惜しい。本当に、何かのチャンスや機会があって鑑賞できるならぜひ!
とりとめない感想になってしまったが、もはや言葉よりも鑑賞である。この感情とカタルシスを感じることは、まず『アンダーグラウンド』という作品の鑑賞なしにはありえない。畳む
▷映画.com
CATEGORY:映画鑑賞など
「アルベール・マルケ展」に行ってきました

なんと国内ではおよそ35年ぶりのマルケ個展とのこと。そしてフランスではマルケの再研究も進んでいるのだそう。これからもしかしたら色々なところで個展が開かれるかもしれないですね。
───
この特別展のおしらせを見るまで、私は「アルベール・マルケ」という人物のことをひとつも知りませんでした。
本当になんでもないとき、銀行にぽっと貼ってあったポスターを見て強烈に惹かれたことを未だに新鮮に思い出します。そうね。肩をやって病院に行ったときだから数日前だからね。
……そんな話は置いておいて!

今回の特別展のカヴァーを飾るのはマルケ1935年の作品「ル・ピラ」。マルケが自身の故郷へのまなざしを改めて受け止め、輝きを取り戻したときの作品だそう。
色彩は豊かで、この海の色はどこか瀬戸内海を思わせるようなあざやかな青緑をしていて、その美しさとどう描いているのだろうという興味が、強烈に私をポスターにくぎ付けにし突発的に美術館に足を向けることになったのでした。
───
西洋において「葛飾北斎」は著名であったとされますが、マルケの描画もどこか〈北斎的〉だと評価されているようです。北斎に似ているわけでは決してなく、展示のキャプションの文章を借りるなら「マルケの作品を見ると北斎を思い出し、北斎を見るとマルケを思い出す」。
実際に、遠くがうすく境界線すら淡くとけていくマルケの遠景描画において、特に山の描画が非常に浮世絵的でありふっと頭に浮かぶ瞬間がありました。それだけでなく、マルケのスケッチは大胆で筆などを使ってどこかコミカルに、しかし銅版画では繊細に描かれており、特に筆による豪快な筆致は日本画自体を思い起こさせる親和性を抱えているように感じます。
また、マルケは俯瞰した都市そのものの描画に焦点をあて俯瞰した風景を特に描いていた画家であったようで、それは作品数にもあらわれます。同じポイントから描いた都市の風景というものを、あわく時に緻密に、おそらく彼が納得いくまで描き続けたのであろうその画は、遠くから眺めているとまるでレイヤーの違う都市のすがたを見ているようで非常に楽しい気持ちにもなりました。
そして改めて「納得いくまで同じものを描いていたっていいし、その時納得してもやはり同じモチーフを何度描いたっていい」「好きなものは、いくつ描いたっていい」という勇気ももらいました。
海に惹かれて展覧会に向かった私ですが、特別展を見終わる頃にはすっかり彼のことが大好きになり、図録まで買ってしまった次第です。
───
マルケの作品に「バルコニー、または縞模様の日よけ(Le balcon ou Store rayē)」という1945年頃の作品があります。
バルコニーに向かって逆光になった部屋とカンバスがより遠景にある海や風景の光を際立たせ、あまりの眩しさに私は思わずこの絵の前にしばらく立ち止まってしまいました。
決して大きくはない、むしろ小さなこの一枚に〈窓辺〉を感じたのです。マルケは1947年に亡くなりますから、晩年の頃の作品であり、この場所をえがくのもほとんど最後の機会であっただろう一枚だと思うとどこか胸が切なくなるような一枚でした。
それにしても、アルベール・マルケのえがく水辺の素晴らしさといったら、これまで出会ってきた西洋画のなかでどんなものもかきわけて私の一番にやってきてしまいました。海や川の色はもちろん、水面やさざ波までとても美しく、モチーフは海外の窓辺であるのにどこか郷里を思い出させます。
モチーフの選択も秀逸です。マルケは橋のある風景や港湾の風景など、「人の営みとともにある風景」をモチーフとして徹底して描いていたように思います。実際にそういったスタンスでもあったようです。
私が普段何気なく眺めている、人がいて海があって波があってその手前の道路に車が走っていて──そういった風景を思い出させてくれる、その風景がいとおしい営みであることを感じさせてくれる、そういった画がたくさんありました。
マルケは限られた色数、淡い色彩を使用して描いていますが、彼は冬が好きだったらしく、冬の絵が多く見られます。
今私は図録を開いて確認をしながらこのブログをしたためていますが、彼の筆致はやはり撮影ではどうにもできません。彼の時に踊るような、あわいがなくなってしまうような、油彩の盛り上がりと筆の載せ方、色の重ね方。そのどれもを直接見られる機会が近くにあって、本当に良かったと思っています。個人的には、ムンク以来の西洋画への大ヒットです(普段あまり西洋画をみないのです)。
───
皆さんも機会があったらぜひ、マルケの作品を観てみてください。彼が都市のすがたをありのまま描いた作品は、きっと私達のやさしくやわらかいところに届くはずです。
そしてまた、こういった特別展が各地に巡回するはずです。もちろん、筆致とかなんとか言いましたが図録だっておすすめです。

なんと国内ではおよそ35年ぶりのマルケ個展とのこと。そしてフランスではマルケの再研究も進んでいるのだそう。これからもしかしたら色々なところで個展が開かれるかもしれないですね。
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この特別展のおしらせを見るまで、私は「アルベール・マルケ」という人物のことをひとつも知りませんでした。
本当になんでもないとき、銀行にぽっと貼ってあったポスターを見て強烈に惹かれたことを未だに新鮮に思い出します。そうね。肩をやって病院に行ったときだから数日前だからね。
……そんな話は置いておいて!

今回の特別展のカヴァーを飾るのはマルケ1935年の作品「ル・ピラ」。マルケが自身の故郷へのまなざしを改めて受け止め、輝きを取り戻したときの作品だそう。
色彩は豊かで、この海の色はどこか瀬戸内海を思わせるようなあざやかな青緑をしていて、その美しさとどう描いているのだろうという興味が、強烈に私をポスターにくぎ付けにし突発的に美術館に足を向けることになったのでした。
───
西洋において「葛飾北斎」は著名であったとされますが、マルケの描画もどこか〈北斎的〉だと評価されているようです。北斎に似ているわけでは決してなく、展示のキャプションの文章を借りるなら「マルケの作品を見ると北斎を思い出し、北斎を見るとマルケを思い出す」。
実際に、遠くがうすく境界線すら淡くとけていくマルケの遠景描画において、特に山の描画が非常に浮世絵的でありふっと頭に浮かぶ瞬間がありました。それだけでなく、マルケのスケッチは大胆で筆などを使ってどこかコミカルに、しかし銅版画では繊細に描かれており、特に筆による豪快な筆致は日本画自体を思い起こさせる親和性を抱えているように感じます。
また、マルケは俯瞰した都市そのものの描画に焦点をあて俯瞰した風景を特に描いていた画家であったようで、それは作品数にもあらわれます。同じポイントから描いた都市の風景というものを、あわく時に緻密に、おそらく彼が納得いくまで描き続けたのであろうその画は、遠くから眺めているとまるでレイヤーの違う都市のすがたを見ているようで非常に楽しい気持ちにもなりました。
そして改めて「納得いくまで同じものを描いていたっていいし、その時納得してもやはり同じモチーフを何度描いたっていい」「好きなものは、いくつ描いたっていい」という勇気ももらいました。
海に惹かれて展覧会に向かった私ですが、特別展を見終わる頃にはすっかり彼のことが大好きになり、図録まで買ってしまった次第です。
───
マルケの作品に「バルコニー、または縞模様の日よけ(Le balcon ou Store rayē)」という1945年頃の作品があります。
バルコニーに向かって逆光になった部屋とカンバスがより遠景にある海や風景の光を際立たせ、あまりの眩しさに私は思わずこの絵の前にしばらく立ち止まってしまいました。
決して大きくはない、むしろ小さなこの一枚に〈窓辺〉を感じたのです。マルケは1947年に亡くなりますから、晩年の頃の作品であり、この場所をえがくのもほとんど最後の機会であっただろう一枚だと思うとどこか胸が切なくなるような一枚でした。
それにしても、アルベール・マルケのえがく水辺の素晴らしさといったら、これまで出会ってきた西洋画のなかでどんなものもかきわけて私の一番にやってきてしまいました。海や川の色はもちろん、水面やさざ波までとても美しく、モチーフは海外の窓辺であるのにどこか郷里を思い出させます。
モチーフの選択も秀逸です。マルケは橋のある風景や港湾の風景など、「人の営みとともにある風景」をモチーフとして徹底して描いていたように思います。実際にそういったスタンスでもあったようです。
私が普段何気なく眺めている、人がいて海があって波があってその手前の道路に車が走っていて──そういった風景を思い出させてくれる、その風景がいとおしい営みであることを感じさせてくれる、そういった画がたくさんありました。
マルケは限られた色数、淡い色彩を使用して描いていますが、彼は冬が好きだったらしく、冬の絵が多く見られます。
今私は図録を開いて確認をしながらこのブログをしたためていますが、彼の筆致はやはり撮影ではどうにもできません。彼の時に踊るような、あわいがなくなってしまうような、油彩の盛り上がりと筆の載せ方、色の重ね方。そのどれもを直接見られる機会が近くにあって、本当に良かったと思っています。個人的には、ムンク以来の西洋画への大ヒットです(普段あまり西洋画をみないのです)。
───
皆さんも機会があったらぜひ、マルケの作品を観てみてください。彼が都市のすがたをありのまま描いた作品は、きっと私達のやさしくやわらかいところに届くはずです。
そしてまた、こういった特別展が各地に巡回するはずです。もちろん、筆致とかなんとか言いましたが図録だっておすすめです。
CATEGORY:おでかけ





ちょっと前から結構おひとり鯖を持つ人がMisskeyのフォロイーに増えてきて、少し気になっていたこの頃。今のところ数社ほどサーバーの提供があるようで様子見していたところxsnsというところが初心者にもわかりやすく(メインシステムの更新などを全てやってくれる手厚さ)、今のwebページ用のサーバーと同じく数カ月ごとの契約が可能だったので契約してみることにした。
一カ月では短すぎるのでとりあえず三ヵ月で。といっても、すでにいい感じのスペースを確保しつつあり、公的かつ日常要素もありなMisskeyとしてお知らせできるアカウントになったンゴねえ!! と今からすでに大船にのった気持ちでいる。早い。
私はずっとMisskey.ioをメイン拠点にしてぼちぼちとやってきた。始まりはdesign鯖さんにお世話になり、いろいろと流れ着いた次第だ。そういうなかで個鯖の流れが気にならないわけがない。新しガジェット好きとしては、なんかこう、一回でいいからやってみたい! という気持ちがうずうずしてたまらず、いよいよ手にしたというわけだ。
大手の運営と大きく違うところは、連合とノート(他サービスではポストにあたる)につくリアクション(カスタム絵文字がリアクションとして♡以外に付けられるのがmisskeyはじめfediverseの特徴)が、自分のサーバーのフォロー依存であるところだ。
大手の運営ではフォロー関係にない他鯖の人のリアクションを見たりすることができるが、おひとり鯖ではあくまでフォロー関係⇒他鯖と連合⇒リアクションが見られるようになる※他者のノートはやはりフォロー関係に依存して表示される※。自分とフォロー関係のある人のリアクションしかついていないように見えるので面食らうが、ioのほうで見てみるとたいへん賑やかなリアクションが躍っており、訊ねてみるとどうもそういう仕様らしい。ioの賑やかさに慣れているとここはすこしさみしく感じるかもしれない。
だがしかし、おひとり鯖のもっともいいところは何より、自分で「カスタム絵文字」を登録できることにある!※他鯖でも可能だが、運営者ではないので申請になるし、なによりそこまでパブリックに使うつもりがない※
ということで、登録してみた。
これがやりたかったんだよォ~!! という感じで、これだけで気分がぶちあがる。もちろんそれ以外にもおひとり鯖ならではの良さもあり、xsnsのサービスに依存はするものの個人の公的なSNSとしてポフオッとお出しできる。
私はとりあえず一カ月使って満足なようであれば、このままゆるゆるとioからこのおひとり鯖にお引越しをするつもりでいる。うまく使えそうなら、日常のことも投稿しているより人間味のあるSNSとしてお知らせできるだろう(それはアカウント分けがあってこそのワザだが)。
いやしかし、自分で描いておいてなんだが、めっちゃかわいいなぁ……。