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【読書中】『体験者「ゼロ」時代の戦争責任論【討議感想】

 現在、主として寝る前にゆっくりと岩波書店の『体験者「ゼロ」時代の戦争責任論』を読み進めている。
 タイトルのとおり、日本においては主として日中戦争から連なる第二次世界大戦の体験者が不在となる時代を迎えるにあたって、日本は戦後から現在まで「戦争責任」に対してどのように向き合ってきたのか、またこれからどのように向き合っていくべきかについてまとめられている。関連書籍としては同じく岩波(こちらはブックレット)の『私たちと戦後責任』(宇田川幸大)がある。
 私の読書の順番としては、以前からいろいろな本を読みつつ『帝国日本のプロパガンダ』(中公新書)→『草の根のファシズム』(岩波現代文庫)→『私たちと戦後責任』→『体験者「ゼロ」時代の戦争責任論』と読書を進めているが、おおむねこの順番を薦めたい。思考順序としてスムーズにとらえて読むことができると思う。

 本記事では、主に第二章にあたる各氏が集った「討議」を読んだ感想をSNS投げていたものをなんとなくいい感じに再編集して記録する。
 人によっては思想面の違いや違和の奇妙さを感じるかもしれないが、ご留意いただきたい。

 戦後責任にたいして、「もし自分だったら」という仮定や「当事者(人権問題であるという)意識の希薄さ」の確認、そして「当時の社会で可能であったか不可能であったか」「加害と被害は複雑に絡んでいる」という側面から〈責任〉についてアプローチすることの重要性を感じた。

 また「戦後責任」を「応答可能性」という概念とした高橋哲哉氏の議論について。
 高橋氏が「戦争責任」を「応答可能性」と表現したのは、戦後生まれの人間でたとえ身に覚えのない過去のことだとしても応答する義務がある──というのを示したものである。
 これは宇田川氏の岩波ブックレットの著作にもあるけれども、戦後日本人の(応答可能性について)“なぜ戦後世代である自分たちが応答しなければならないのか、という反発も世論の一部にはみられました。”という本書内での指摘は、2012年以降の日本の政治スタンスにもハッキリと現れたものであり、そのままの認識で放置してきたツケもまわって深刻化しているという現況もうかがえるなと感じました。これについては後述しますが、政治に参加していてもしていなくてもこういった一種の暴力への加担は共犯性をはらむと捉えられます。

“戦後”ということばの認識──盲点だったこと
 私たちはふだん「戦後◯年」というけれど、その“戦後”はあまりにも本土主義すぎることに本書の指摘で初めて気が付きました。
 たとえば日本の植民地支配を受けていた朝鮮半島において“戦後責任”ということばはよほど日本の歴史に通じていないと伝わらない。彼らには朝鮮戦争があるから。どこからどこを含み、示すのか。また、本土復帰が遅れ今でも米軍基地を置かれている沖縄において“戦後はない(戦後ゼロ年)”という指摘などは、見過ごせないことですよね。
 非常に自然に戦後戦後と捉え話していたけれど、なるほど確かにこれはあまりに〈本土中心的な考え方〉で、一種の暴力であることに気がつきました。日清日露戦争やアイヌ、琉球、朝鮮半島などの多くの植民地に対する無自覚さと親日主義についても振り返る部分がありました。いかにも、本土中心で考えながら生きてきていると思います。

 しかし一方で、私個人としては「どこまで割り切って考えるか」というのも読み進めるにあたり浮かびました。
 例えば私の場合は「広島の戦中と戦後」を扱い、“戦中と戦後”はまちがいなく広島の歴史を示し、広島からの戦争(と応答可能性を)見ています。
 “自分だったら”と考えられる範囲には限界があるのではないか? という観点です。これは自分の視野の狭さを端的に表しているとも思っており、けして許容されることではないとは思っています。だけど現実にある〈限界〉を認識するには私はこれ以外にまだ知らない。
 読み進めていったら中にひとつの応答の提示があるか、自分なりに腑に落ちるところが出てくるのかも。それについては本書に限らず関連する書籍も含めて今後を少し楽しみにしています。
 前著と本書のここまでを読んでいると、宇田川さんとは視座が近いな……と所々で感じるのもあってより刺激を受けたり、共感したりまた改めて考えるターンが発生します。特に共感については、共感できてうれしいのではなく、共感を疑いそれを経てはじめて共通する思想・思考への喜びと刺激を受容しています。

(あいだ日が空いて)
 
戦争責任論討議の後半を読み終えました。雑感です。

 戦争責任における「個人の責任」というのは判定が非常に困難だと改めて認識しました。特に旧日本軍では上官命令に逆らえない緊張感があり、人権を透明化した風土だったので頷けます。
 しかし現代は違います。私たちは基本的人権を有している個人であり、政治を眼差す目であり、選挙権を持つ手がある。かつてのような「世論の空気」は時代に合わせて順次形成されつつも、一点違う点を挙げるなら前述の「人権」が大きくあたると思います。
 そして、大まかな世論や政治に流されない(そして無視もしない)思考力の獲得と発揮(疑義と選挙権等の行使)が重要であること。これを行使しないことには我々は有事──戦争行為の諸々に対して責任を問われる際、あきらかに国家とともに国民も「共犯者」足り得るのだと、その危険性を常に持っているのだと、個人の考えとして確認しました。「選挙に行こう!」とカジュアルに推し進められているものも、ひとつひとつはカジュアルそのものでありますがその根源にはこういった重要性が含まれているのです。そうすると、選挙に行かない・参加しないのは何の意思表明でもないどころか、すべてにおいて背を向け、投げ出しているような無責任さが際立つとも思いました。

〈戦争/戦後責任〉と現在の私たち
 本文中にも触れられていますが、90年代の頃の戦後責任の議論と違うことは〈戦争体験者の減少〉です。私たちは戦後、この〈体験者〉に依存した思考形成をしてきたのではないかと思います。
 補償面においては体験者が存在するということで追及ができますが、逆に言えば議論は「その範囲で止まっていた(いる)」。これから〈日本における戦争体験者不在〉の時代において「戦争/戦後責任」を追及する時、この体験者に依存した構造は議論の当事者性を奪ったものとして深刻に影響するのだと思います。現実的に、「もう過去のことだから」「もう80年も前のことだから」「私たちの祖父母すら戦争を体験していないから」と〈戦争体験〉自体を遠ざけ、直視や思考、議論を避けてしまっている。
 また、かつての植民地支配や慰安婦問題という事象に対しての責任及び補償や賠償等の棚上げまで起きている。なにより政治がそれを進めてしまっていて、私たちもぼんやりその肩を持っている状況だと感じています。
 たとえば教育の場面では、金さんによる
韓国文学がブームになって久しく、学生たちもよく読んでいますが、あまり重いストーリーは敬遠されます。教える側としては、読みやすい軽い物語から入って、現代史を描く重い物語につなげていく方法を考えないと、授業がうまくいかないんですね。日本文学でも同じようなことが言えます。日常を描いたほのぼの系の作品は人気がありますが、戦争文学を取り上げると嫌がる学生が出てくる。
 という指摘がありますが、そのとおりだと感じています。
 これでは、思考や議論の土台は形成されにくい。歴史と国における議題・問題として共有され得ない。「戦争責任」を問う人がグッと減ってしまう。
 だからこそ先に述べたような、棚上げや“過去のことだから我々が責任を負う必要はない”という論調に政治ごと流されていく。沈黙もこれらの是となり得るし、私たちは過去の被害者(それは今も傷を伴う国なども含みます)に背を向ける行為となってしまう。自分たちの罪だという当事者性が困難だとしても、過去と彼らに背を向けるような行為だけはせずにいたいし、いてほしいと強く感じました。
 ここではあえて、戦後における補償については私の感想を論じません(読めるけど論じるほどの知識が不足している)が、日本の敗戦により突然植民地の人々は日本国籍も剥奪され補償から漏れ、苦しんできた面もあることも、現代においても忘れてはならない一面であると考えます。

 現代の私達は戦争責任による当事者性を持ちません。ですが、かつての轍を踏まないようにしないといけない責務はあるのです。
 そして今も人権を侵害されて苦しむ人のため・現在の人権を守るために議論し、政治を見、あるいは選挙によって政治に参加する義務があるのです。

 最後に、印象的な総括を引用しておきます。

 参照すべき科学的知見がしりぞけられ、考えること自体を忌避することが持て囃されていく。こうした状況は二〇二〇年代の現在も変わりません。物事の歴史的経緯を学ばないということ自体が暴力になるのだということを、正面から問う戦争責任・戦後責任論が求められていると思います。
(『体験者「ゼロ」時代の戦争責任論』81ページ)

余談、雑談
暴力を助長する者たちを、選び続けている側の責任について、これまで以上に厳しい検討と追及が必要だと思います。「民衆の責任」「暴力を支えてしまう世論の責任」という視点が、今後の戦争責任論ではいっそう大事です。
 という点も、耳が痛いながら頷ける箇所でした。

 まずまともに議論できる土台を作り上げるのが大事なんだけど、完全に遅きに逸している感があってしんどいんだよな~。
 何度もいろんな場面で話しているけれど、こういうことを強く意識して行動に移すことができるリミットは日本本土における戦後70年の段階だったと思う。私なんかは当時もう成人していてかつ近代にも若干の関心があったので、その意識にまで至らなかった反省に近い後悔があるんだよね、とても。
 広島の原爆体験も、被爆者が亡くなってなおAIで〈被爆者〉を創出してまで、体験者に依存しようとしているのは非常に渋い顔をせざるを得ない。
 これは本書でも触れられているけど、歴史学はまずそもそも〈当事者不在が前提〉の研究なんですよね。歴史という目で見れば近代史の立ち位置が特殊というのはタシカニーなんだよね。
 議論において、思考において、私たちは自立しなきゃいけないというか……体験者に依存した土台から自立した土台を持つべきを持ち得ないまま、これから“体験者「ゼロ」時代”に突入しようとしているのはちょっと憂鬱な気持ちにはなりました。
そこで、ほな諦めるか〜ではなく、小さくても考え続けようという姿勢でいたいものです……。

 あと私は「死んだとしても反対する」という姿勢には否定的です。近眼的で後世に無責任であると思うから。
 反対して体制に殺されるのであれば、まあ……それは後世において適切な継承があることと期待はあるけれど……それでも考えてしまう(本書内では〈転向文学者〉への取り扱いの難しさにも触れられています)。〈死ぬことを前提に〉自らの主張を通すというのは、なんというか形を変えた、思想の特攻のような気がして嫌なんですな、と読んでて思いました。

 討議の章は以上で、あとは討議に参加した各人の項目を読んでいきます。また何か感想などがあったら投稿します。

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